非正規職根絶を目指す、ソウル市の労働政策(脇田滋・龍谷大教授)|オピニオン|非正規労働者の権利実現全国会議

非正規職根絶を目指す、ソウル市の労働政策

脇田滋・龍谷大教授
2016.9.20

この9月4日から5日間の日程で、韓国・ソウル市の労働・社会政策の新たな動向を知るために、関連団体7カ所を訪問してきました。今回の調査を終えて、とくに印象的だったのは、ソウル市の労働政策が新たな段階に入ったということでした。

朴元淳(パク・ウォンスン)氏は、野党や市民団体の統一候補として、2011年10月、与党候補を破ってソウル市長に当選しました。朴氏は、権力者や大企業の監視などを行う市民団体である「参与連帯」の事務局長として手腕を発揮した進歩的弁護士でした。市長選に臨んで、その活動経験と幅広い人脈を活かして体系的・包括的・具体的な政策を公約として提示しました。当選後すぐに、高学費に悩む青年層の要望に応えてソウル市立大学の授業料を半額にし、また労働団体との協定に基づいて、ソウル市と関連機関で働く約7,000人もの非正規労働者を正規職転換する具体的目標を示すなど、公約実現に向けて強い意欲と高い行動力を示しました。

2012年には、日本の革新都政下での「シビル・ミニマム」や、ロンドン市の類似事例を参考に、多くの市民と専門家の協力で「ソウル市民福祉基準(Seoul welfare standard)」を策定しました。朴市長は、他の多様な分野でも注目すべき政策を次々に実現して市民から大きな信頼を得て、2014年6月、圧倒的な支持で再選され市政2期目に入っています。

とくに注目できるのは、市長就任後、民主労総役員出身の「労働特別補佐官」を任命し、独自の担当部署を置いて自治体として初めて本格的な労働政策の展開を開始したことです。2014年には「労働者権益保護条例」を制定して、労働政策を進める行政組織の法的根拠を整備しました。そして、「ソウル市労働権益センター」を中核に、現在、ソウル市には4カ所の「労働福祉センター」が設置されていて、労働相談、労働者教育、法違反是正、訴訟支援等の活動と合わせて、中小零細企業での労務管理改善にも力を入れています。

将来的には、この福祉センターを市内25特別区すべてに設置する計画です。さらに働く母親、外国人労働者などへの支援のためのセンター拡充やアルバイトの権利章典作成、接客業などでの「感情労働」問題への取り組みなど、社会的に弱い立場の労働者のための特別な活動も活発です。

非正規職対策では、2016年4月までに5,625人のソウル市と関連機関で働く非正規職を正規職に転換しました。期間制労働法(2006年法)は、期間制契約職(有期雇用)の2年経過後の無期転換を定めていますが、ソウル市は、その上限前倒しを含めて常勤的有期雇用の無期転換を進めました。特に一般の無期転換者とは違って、従来の低い待遇を継続するのではなく「公務職」という独自の職位を設けて待遇改善を図りました。間接雇用については、民間委託による「経費節約」論などに根拠がなく、中間業者の収奪分をなくす方が市として有利であることを専門家集団への委託研究で客観的に明らかにしました。

その上で、清掃などの用役(事業場内下請)業務を原則として直営化して関連労働者を市直用職員にする方針を定め、業者毎の委託契約終了で逐次、直用化を実行しています。さらに市長2期目終了の2017年までに1,697人を正規職転換して、朴市長任期中に総計7,322人を正規職化する計画です。経済的効率という視点からの非正規職を根絶することによって、ソウル市と関連機関で働くすべての人が安心して生活ができ、意欲をもって働けることを目指しています。

韓国では2016年1月現在、全国51の自治体で「生活賃金条例」が制定されています。ソウル市は、2015年1月、広域自治体(道、特別市等)として初めて「生活賃金条例」を制定しました。生活賃金条例は、日本の「公契約条例」とは違って、自治体とその関連機関が直接雇用する低賃金労働者を対象に、最低賃金より2割~3割程度高い賃金を設定するものです。

非正規労働者の権利実現全国会議

ソウル市の場合、前記の非正規職の直用化政策を優先し、それを補う形で、余りにも低い最低賃金(全国一律)レベルをさらに引き上げるものです。そのために適用対象は多くはありませんが、注目すべきことは、この「生活賃金」を、民間委託契約や「MOU(業界団体と自治体間の協約)」を通じて、民間部門で働く労働者にも拡張適用しようとしていることです。

実際、ソウル市の生活賃金条例がモデルとなって、野党系だけでなく与党系も含めて全国の広域自治体・基礎自治体の多くに生活賃金条例が急速に広がっています。(詳細は、妹尾知則・脇田滋「ソウル特別市生活賃金条例〔韓国における雇用安全網関連の法令・資料(4)〕」龍谷法学(49巻2号掲載予定)を参照して下さい。表は同論稿に掲載)。

さらに、ソウル市は、2015年4月、自治体として初めて「労働政策基本計画」を樹立しました。そこでは、5ヵ年の計画で、地方自治体としての「労働行政」という考え方を打ち出し、ソウル型労働政策を目指すことを表明しています。たしかに労働監督権や労使紛争調整などは、自治体には認められていないので、きわめて限られた権限と条件の下ですが、同基本計画では、「労働を尊重する特別市ソウル」という理念の下で、「労働者権益の保護」〔権益=権利と利益〕と「使用者の模範的な役割の確立」を2大政策目標とし、さらに61の細部課題を示しています。

さらに、民主労総・韓国労総の2大労総、女性・青年などの労働団体、使用者団体、市議会、学会、研究機関、中央政府からも多様な意見を集めて、2016年4月27日、「労働政策総合計画」を確定しました。そこでは、「ソウル市労働政策総合計画 核心7大約束」として要約して次の7項目を提示しました。

  • 労働権益侵害ゼロ 侵害予防から救済までワンストップで解決します。
  • 労働死角地帯解消 正当な権利が尊重される職場に変えます。
  • 生活賃金拡大適用 生存でなく生活を保障します。
  • 非正規職正規職化 安心して仕事が出来る差別ない職場を作ります。
  • 労働時間短縮   夜勤は減らし雇用は増やします。
  • 勤労者理事制導入 労使が共生協力する文化を確立します。
  • 政策ネットワーク構築 働くあなたのそばにいつもソウル市が一緒にします。

ところが、この計画が発表された直後、2016年5月28日、ソウル地下鉄2号線の九宜(クイ)駅でスクリーンドアの内側を整備していた19歳の下請労働者が列車とドアの間に挟まれて死亡するという痛ましい事件が発生しました。使用者責任の間接雇用による不明確化、肉体労働の軽視、労働を経費(コスト)としてしか捉えない雇用管理など、韓国社会の常識や複雑な労働慣行が重なり合って、劣悪労働条件の下で若い青年を死に至らせたことは、韓国社会全体に大きな衝撃を与えました。朴市長は、青年の死をきっかけに「ソウル型労働革命」を起こすと表明し、専門家に事件の徹底真相究明を求める一方、労働政策の質的な深化を図りました。

そして2016年8月11日、新たに「労働革新政策」を発表しました。この政策は、「“人”が優先されて“労働の常識”が守られるソウル」を標題に、次の5つの「労働革新対策推進方向」を提示し、さらに5大分野18個の課題を挙げています。

  • 両極化した労働構造打破!
    効率よりは人、ソウル市では効率だけを考慮した非正規職を根絶します。
  • 労働不平等と差別撤廃!
    「同一労働、同一処遇」が保障されるように差別的要因を源泉除去します。
  • 労働者生命安全最優先!
    最小限労働者の安全は守られる作業環境を造成します。
  • 人間らしい労働条件保障!
    労働者の人間らしい生活が保障されるように労働関連の諸般規定を厳格に遵守します。
  • 対等な共生文化定着!
    労・使、労・労間の円滑な疎通を基に対等な共生の労使文化造成の先頭に立ちます。

(資料PDF)『ソウル市の労働革新対策』(脇田試訳)

この「労働革新政策」は、4月27日発表の「総合計画」を基調としていますが、関係者は、九宜駅事故の教訓を踏まえて、「労働者生命安全最優先」を加えるなど、全体として「大きな質的な転換」を含むことになったと指摘しています。民主労総、韓国労総の2大労総や公共部門で働く労働者を組織する産別労組・公共運輸労組(組合員15万人)も、このソウル市の「労働革新政策」への支持を表明しました。

現在、朴槿恵(パク・クネ)政権は、ILOからの再三の勧告にもかかわらず、民主労総などの対抗的労働組合の活動を徹底的に弾圧しています。さらに昨年「労働法大改悪」を提起して厳しい労使対立を生み出しています。既に雇用労働部は、法律改正手続きを経ずに、1.就業規則の不利益変更容認(賃金ピーク制等の導入)、2.解雇の正当事由拡大(成果主義下での低成果者解雇)という経営側の要望に応えた「雇用指針」改悪を強行しました。

さらに政府与党は国会に、1.期間制法(有期雇用の規制緩和)、2.派遣法(対象拡大、社内下請適法化)、3.勤労基準法(時間外労働規制)、4.雇用保険法(受給要件改悪)の改悪案を提出しています。こうした朴槿恵中央政府の労働政策の方向は、ソウル市が提起する政策とは真逆のものです。(1)効率優先に非正規雇用を経営者の要望に応えて利用することで、両極化した労働構造をいっそう拡大し、(2)労働不平等と差別を維持・拡大するものです。そして、(3)労働者の生命安全を軽視して、作業環境を劣悪化し、(4)人間らしくない労働条件を広げるとともに、(5)経営者の専権を容認して、ILOや欧州が示す労使対等の民主的労働慣行形成に逆行するものです。

私は、ソウル市の労働政策を知るほどにうれしい気持ちになりました。そして美濃部革新都政が、1つのモデルになっていることに複雑な思いもしました。日本では「過去のもの」とされ、マスコミなどでは「嘲笑の対象」にしている革新自治体の優れた福祉政策が、現在のソウル市で活かされていたからです。

グローバル経済が広がった現在、東アジアに位置する日本と韓国は、きわめて類似した条件の下に置かれています。朴大統領・中央政府の労働政策は、日本でもこの数十年強行されてきた労働法規制緩和や、闘う労働組合弾圧の政策と共通していると思います。しかし、朴市長の労働・社会政策を知れば知るほど、その内容だけでなく、政策の作成・実現を支える市民団体・労働団体の存在、研究者、法律家(弁護士、公認労務士)など専門家の参加と献身的な努力に魅力を感じました。

非正規全国会議としても、韓国ソウル市の労働政策や市民団体の活躍に学んで「労働が尊重される日本、効率を理由とする非正規雇用利用の根絶」を目指して大きな役割を果たせればと考えます。

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